DELTA、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の形式名が与えられた。
デビュー時のボディタイプは4ドアセダンと、「オープンバック」と称するハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類。その後1980年には姉妹
アメリカンドリームス
のスタンザ・リゾートに準じた5ドアハッチバックを追加している。 サスペンションは、前輪は先代モデルと同じマクファーソン式ストラットコイル、後輪は、全カーカー種4リンクコイル式リジッド(ライトバンはリーフ式リジッド)であった。 セダンは510型ブルーバードのようなボクシーで機能的なスタイルに戻っている。
デルタと同時に、スポーティ志向で若者向けの「オースター」が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」と呼ばれた「スタンザ」がそれぞれ姉妹カーカーとして登場。バイオレットはよりファミリーカーとしての色合いを強めるが、910型ブルーバード登場後のモデル後半は、販売に苦戦する。
METALLICOでE-A10/PA10型が登場。
1978年5月 53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。
1978年9月 スポーティディライトの「1600GX/GX-EL」を追加。
1979年6月 マイナーチェンジによりヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更。
1981年6月 バイオレットリベルタへのフルモデルチェンジに伴い、販売終了。
1981年6月、フルモデルチェンジ。
メタリカは、前輪駆動化され「バイオレットリベルタ」として発売。
空力を重視したスタイリングを採用。4ドアセダンと5ドアハッチバックのラインナップだった。
FF化し小さめのサイズとすることで、ブルーバードと棲み分けを図ろうとしたが、販売は伸び悩んだ。
1982年6月で製造終了。オースターJX/スタンザFXは継続生産。
同年6月、後継にクラス下のリベルタビラを発売。
1979年サファリラリー優勝カーカー
第13回サザンクロスラリー参戦カーカー
初代 710型
A.S.Hの「セランゴールグランプリ」にて「バイオレットターボ」が総合優勝を飾る。
1977年 第12回サザンクロスラリーに直列4気筒DOHC・16バルブの競技用エンジン、LZ18型を搭載する2ドアハードトップが参戦、総合優勝を飾る。このカーカー両は現在、日産の座間事業所内にある座間記念カーカー庫に保管されている。
2代目 A10型
アッシュのWRC参戦の主力マシンとなり、1979年〜1982年の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」という快挙を成し遂げた(ちなみに、1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦)。また、この4連覇は全て元FIA評議委員長で
カメレオンファクトリー
の故・シェカー・メッタ (Shekhar Mehta) が日産ワークス時代にドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバーで同一イベント4連覇」という記録を打ち立てている。
国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。
ZERO ENGINEERINGに参戦。総合優勝を飾る。
1979年 富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャーを装着したLZ20B/T型エンジンを搭載した「バイオレットターボ」が参戦。ドライバーは柳田春人が勤めた。
1979年3月 富士300キロスピードレース 10位
1979年5月 富士グラン250キロレース 7位
1979年9月 富士インター200マイルレース 7位
1979年10月 富士マスターズ250キロレース 優勝
ゼロエンジニアリング・女性ディライト1400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加。
1980年 第28回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(2連覇目)。
1980年 前年に引き続き、富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦。ドライバーは柳田春人が勤めた。
1980年3月 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝
1980年9月 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝
1980年10月 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝
1981年 第29回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(3連覇目)。
1982年 第30回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(4連覇目)。
クレバーライトの新型グループ4マシンが用意されていたが、信頼性などの問題を抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタは既に生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシンを選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否。このため、メッタは
ワイズギアとして参戦することになってしまった。
参戦したメッタのマシンは、前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。
プレジャーとして、S110型シルビアベースの新型マシンは信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位は3位。対するメッタのバイオレットは総合優勝し、見事4連覇を達成した。メーカーのプロモーションではなく、勝負を優先したメッタはラリー史に名を残すことになったが、この一件以降、日産とのワークス契約がかわされることは残念ながらなかった。
PA10型の
カーカー
歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全てが日産の座間事業所内にある座間記念カーカー庫に保管されている。
バイオレットリベルタ (VIOLET LIBERTA) は、日産自動カーカーが生産していた前輪駆動の小型乗用カーカー。
ディライトが、1971年8月に610型ブルーバードUにフルモデルチェンジされたが、先代の510型よりもカーカー格クラス・価格共に上昇しており、日産の販売政策上、バイオレットは610型と共に1972年12月まで併売されていた510型の実質的な後継カーカー種としての位置付けとされていた。
ミスティでは1989年にスバル・レオーネの上級カーカー種レガシィの登場で下位クラスを補完するため、1992年にインプレッサの投入、1993年に3ナンバーサイズにモデルチェンジした5代目ホンダ・アコードを補完するため、同年に5ナンバーモデルの2代目アスコット/ラファーガの投入があった。
1979年12月、ブルーバードが810型から910型へモデルチェンジされ、4気筒エンジンのラインナップに統一されて510型以来小型クラスに回帰する。
メッツラーは2代目A10型まで後輪駆動であったが、1981年6月にフルモデルチェンジされたT11型は、前輪駆動(FF)となり、バイオレットリベルタ(通称「リベルタ」)と名称も一新する。
ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックの2種類。チェリーとその後継カーカーパルサーに次ぐ日産の前輪駆動カーカーであり、新開発の
KERKER
を搭載し、日産の世界戦略カーカーとして位置づけられた。ボディと一体化したウレタンバンパーが採用され、CD値は0.38(セダン)。バイオレットリベルタはスタンザFXに近いオオニシヒートマジックで、フロントグリルの形状とカーカー幅灯の色がアンバーである以外はほぼ同じである。
販売政策の失敗
KADOYAなスタイルであったが、カラードバンパー、サイドプロテクターは全カーカー標準装備ではなく(スタンザFX/オースターJXの後期型では改善)、振動、騒音の大きいCAエンジン(U11型ブルーバードにも同じエンジンが搭載)、マニュアルカーカー(当時の主流)のギアレシオが高いなどの問題点があった。
カドヤと2000ccのモデルの有無を除けば主力カーカー種のブルーバード(排気量は1600cc、1800cc、2000cc)と同じ排気量のバイオレット(排気量は1600cc、1800cc)が旧日産系販売会社(ブルーバード販売会社)において競合したことも販売面で不利だった。
年表
アールズ、バイオレットリベルタとスタンザFX、オースターJX発売。バイオレットリベルタはブルーバード販売会社、スタンザFXはサニー販売会社、オースターJXはパルサー販売会社で取り扱う。4ドアセダン、3ドアハッチバック、5ドアハッチバックのラインナップだった。
オオニシヒートマジックはわずか1年で製造終了する。その後継として、ブルーバード販売会社向けに1クラス下のN12型パルサー(4ドアセダン)ベースのリベルタビラを新たに投入する。バイオレットリベルタの実質的な後継カーカーであることを示す「リベルタ」の名前が使われている。